「裕次郎と、夏の行列」

参考ページ(鶴見駅周辺地図)

近況報告を兼ねて、
昨日、石原裕次郎の13回忌に行ってきたので、その様子を御報告します。

テレビで生中継もしてたようだから、もしかしたら知ってるかな?
でも、すっごい大変だったんだー!
それに、いろんな人間模様も見てきたし。
聞いてちょーだい!!

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前日のニュースでは、早い人は7/1(木)の早朝から門前に並んでいると言っていたので、
金曜日の飲み会の帰り道、どんな様子かなと思って総持寺(そうじじ)の前を通ってみたんだ。
すると、すでに長〜い行列ができていて、「この人たちは徹夜でこの雨の中頑張るのか???」と驚いたというより、感心した。
みんな遠くから来てたんだろうね。
で、僕は地元民だし、終電も終わっているから、これ以上は人もそう増えないだろうと、翌朝早めに行けばいいかって、その日は3時頃寝たんだ。

翌7/3(土)、朝5時半頃、自然に目覚めてみるとやっぱり雨。
(行くのやめちゃおうかな)とも思ったんだけど、せっかくの地元での大イベントだから、いい思い出になるし。
で、うちの奥さんも、自分の母親の名前を記帳してあげたいと言うので一緒に行くことにしたんだ。

軽く朝食を食べて、結局家を出たのは6:45頃。
雨の中、歩いていると、追い越していくタクシーに乗っているのは、まさに行き先を同じくする者たち(法事の服を着てるからすぐわかる)。
「やばい!かなり人が集まり始めてるみたいだ!!」
「やっぱりちょっと家を出る時間が遅かったか!!」
「いったいどれほどの長蛇の列になっているのか?」
と急ぎ足で歩いていたら、
平日では信じられない程の総持寺かなり手前からの渋滞で、タクシーもバスもピクリとも動かない。
バスは途中だけど乗客を全部降ろしていた。
さっき追い越していったタクシーは歩いて全部抜き返した。
ちょっといい気分。

7時頃、総持寺の入口に着いてみると
昨晩の列に加えて、おびただしい数の警備員。
「最後尾は、駅の向こうです!」
って言うから、人の流れのまま進んで行くんだけど、行けども行けども最後尾にはたどり着かない。
(ホントに最後尾は存在するのか??)

で、あまりに列が長いからか、徹夜で並んでいた人の列に割り込もうとする人がいたりして
「割り込みするなっ!!」て罵声が飛んでいたり、もう、騒然とした雰囲気。
JR鶴見駅を横目に通過して、長い豊岡商店街も越えて、幹線道路をずーっと行ったところにようやく最後尾があった。
総持寺からここまで歩くこと30分。
「おいおい、この列をまた戻っていくわけ??」
「やっぱ諦めようかな。。。」
と弱気になったけど、とりあえず並んでみた。

でもね、記帳が始まるのが10時でしょ(つまり2時間半後)。で、列が前の方から少しずつ動き出して、自分のところまで順番が来るのは一体何時だろう?って。
早ければ12時くらいだろうけど、それでも4時間半後。。。
記念ワイン&日本酒は先着5万名だけど、それはもらえるかな?
列がここまで2kmとして1mに10人なら2万人だから、これは何とかクリアしてそうだな、とか、いろいろ考えたり。

じっとそこに並んでいる間も、最後尾を目指す人々は次から次に怒涛のように僕らの横を通りすぎていく。
こんな朝早くから、一体どこからこんなに人が溢れてくるんだ!石原プロに雇われたであろうスタッフTシャツを着た警備員もたくさんいたけど、警察も動員されて、バスに乗って大勢やってきた。
まわりでは、朝3時に家を出てきただの、5時に電車に乗っただの言って、やっぱりみんな遠くから来てるんだね。

時間がたつにつれて僕の気分もだんだん落ち着いてきた。
相変わらず流れの絶えない最後尾を目指す人たちを冷静に見ていると、年齢層的には50歳代以降がほぼ半分を占めていたみたい。
女性の方が多いけど圧倒的というわけではなく、男性も多い。裕次郎は男にも女にも愛されたのだろう。
(現代にこういうスターっているかな?)
もちろん10代もちらほら、20代や30代も結構いるんだけどやっぱり裕次郎世代が多いね。

格好は、きちんとした正装(礼服)の人もいるし、濃い色の服装とか、パンツは黒で上は普通の私服とか、まあ、身内の法事よりはラフな格好だったかな。
みんなたくさん歩くことを想定してるからだろうね。雨だし。
あと、大きな花束を持ってる人もいた。
でもね、まったく勘違いも甚だしいというか、ジーンズだったり、ド派手なワンピースだったり、「お前らは何しに来てるんだ!」ってヤツもいるんだよね。「観光じゃねーんだよ!」って感じだよ、まったく。
最低限のTPOはわきまえなくちゃね。

9時くらいになると前の方から列を詰めているのか少しずつ少しずつ進んでいた。
たまに来るパトカーが
「記帳の開始時間を早めます。」
と言ってちょっとだけ安心させてくれたり。
でも、最後尾を目指す人たちの流れはとどまることを知らない、どころか、さらに流れが太くなっていく。
走り出しちゃう人もいたりするんだけど、おまわりさんが
「最後尾はずっと先です!走って行ける距離ではありませ〜ん!」
とか言って、並んでる人たちがドッと笑ったり。
スタッフTシャツを着た警備員は
「最後尾はこの先の国道を左折して、『めがね橋』のあたりです。」
と言ってたけど、これって3kmを越えてるんじゃないか?
なんか自分たちの境遇はまだマシなのかな、って(ホントは自分たちもとんでもないのに)もう感覚がマヒしてる。

10時、11時と時間は過ぎて、記帳も始まってるからゆっくりゆっくり列は進む。ちょっと動いて、ずーっと止まって、の繰り返し。
ここは豊岡商店街。
先はまだまだまだまだ長い。
疲れきって座り込んでしまうお年寄りや救急車に運ばれていく人が出てきた。すれ違っていく最後尾を目指す人が、「列が5kmを越えたらしい」と言っていた。(その後、「8km」っていう声も聞こえた。)
健常者はまだいいけど、杖をついた足の悪い人やお年寄りも必至で歩いている。見ていてなんか涙が出そうになってきた。
代われるものなら代わってあげたい。
でも。。。。。
あるいは自分の前に入れてあげたいけど(それでも2kmもの列だけど)そんなことやりだしたらキリがないし。。。何もしてあげられない自分がとても情けなかった。

それにしても一体何人が集まってるんだろう。
警備スタッフや警察は自分の仕事が手一杯でとても全体は把握していない。主催者(石原プロ)側からは何の説明もない。
たまに横入りしようとする不届き者がいて、みんなに罵声を浴びせられて追い出される。
雨は降ってくる。
列は進まない。
おのずとみんなのイライラも高まってくる。

12時。
この頃には雨はやんで曇り空になった。
当初は早ければこのくらいに自分の順番かな、と思っていたがとんでもない!
まだずーっと先。
それに腰も痛くなってきた。
でも、この頃になると、「意地でも最後まで行ってやる」って思ってしまう。ここまで頑張ったんだから。
すでに記帳を終えて手に記念ワイン&日本酒を持った人が横を通った。
「あ、あれか!」
化粧箱には、裕次郎の若き日の姿がデザインされている。
期待が高まってくる。

13時。
いよいよ総持寺の手前300mの駅前交差点。
これを渡れば、もうすぐだ!
と思ったら、なんと!
交差点を曲がって列が続いている!
多分、どこかまで行って折り返してきたであろう道の反対側に並んでいる人たち。
たった5〜6m幅の道の反対側にいる人たちだけど、その差は一体何時間なのだろうか。。。。
彼らが羨ましかった。
鶴見は坂の多い所で、僕らの列は坂を登ってその向こうまで続いている。
折り返し地点は到底見えない。

14時。
列を離脱して諦めて帰っていく人が出てきた。
この人達ももう6時間以上頑張ってきたのに。。。
彼らが警備スタッフに
「この先は警備員が足りなくて横入りする人がいる!!」
と怒っていた。
いままでじっとしていた僕だったけど、痺れを切らしてとうとう行動開始!
この列がどこまで続くか走って確かめに行くことにした。
結局、その峠を一つ越えて、約400mほど先の、次の上り坂直前の交差点で折り返していた。

で、興味があったので、ついでにその先の上り坂を登ってみた。
なぜならそこに『めがね橋』があるから。
めがね橋の上から国道1号線を見下ろすと、人の列は、そこからは見えないずーっと先の方までびっしり続いている。
あ然。。。
この列は総持寺を出て、鶴見の街をぐるーっと一周して、一体総持寺から何kmになっているのか。
というよりも、これだけの人が今日の夕方までに記帳が出来るのか?
数時間前に見たあの老人も、杖をついた足の悪い人も頑張って頑張って何kmも歩いて最後尾にたどりついてそれと同じ距離をまた戻っていく。。。
ここに並んでいる人たちはそれを覚悟しているのだろうか。
それより、主催者はこの状況を把握しているのか。
という疑問を抱えて、僕は自分の列に走って戻った。

さっそく僕の周辺の人からの質問攻めにあい、列が400m程先で折り返していることと、
警備のスタッフや消防隊員もちゃんといることを告げた。
(要するに駅前交差点から往復約1km追加ってこと。)
それを聞いて、周囲の人達もこの先の様子がわかり少し安心したようだった。
が、その後も、ここまで頑張ったのに諦めて帰っていく人は続いた。

15時。
坂下の交差点で折り返して、なおゆっくり進む。
そして駅前交差点まで300mくらいの所まで戻ってきた。
しかし、あまりの情報不足に周囲のあちこちで状況説明を求める人が警備スタッフに詰め寄っていた。
しかし、警備スタッフも「自分はとにかくここをやれ!と本部に言われただけだから状況はまったく分からない。」
「それに本部はVIPやタレントにつきっきりで。。。」
と、埒があかない。
警備スタッフもイライラしている。
一般市民はこんなひどい状況なのに、特別扱いされる人がうらめしい。
そういう人達の存在は否定しないが。。。

そんなとき、黒服を着た石原プロの若手スタッフが列の前の方から人数を数えてきた。にわかに周囲がどよめいた。
自分たちは記帳が出来るのか。
5万人目に入っているのか。
さらにしばらくすると、ようやく主催者側の登場。
メガホンを片手に石原プロの小林専務
(と周りのおば様方が教えてくれた)が状況説明にやってきた。
「このあたりは4万人目くらいなので、記念品は確実にもらえる」
また「ここからあと2時間半くらいだが、16時の終了時間を18時半まで延長する」とのこと。
みんなそれまでの不安を忘れたかのようにワーっ!と喜んだ。
当然僕もホッと一安心。
それにしても、人間はなんて現金な生き物なんだろう。
自分が助かれば、その後ろに並んでいる何万人がどうなっても関係ないのかな。。。

その小林専務が、今度は道の反対側の人たちに説明をしながら戻ってきた。
「皆さんは、5万人にきわどいので、ワインがもらえるかどうかわかりません。」
もう、周囲は小林専務に駆け寄ってきた。
この時間になると正直、諦めかけている人がほとんどだろうけど、7時間近くひたすら頑張ってきて、「残念でした」ではどうにも怒りのぶつけようがない。
「どうしてもっと早く教えてくれないんだ!!」
「情報が足りないんじゃないですか!!」
みんな必死に訴えていた。
小林専務も
「皆さんよりもっと後ろの人にも説明したり、いろいろやってるんです!」
と、ちょっと感情が入ってしまったり。
あぁ、もう、みんな疲れてる。。。。
僕の腰の痛みも限界に近づいていた。

15時半。
やっと駅前交差点に戻ってきた。
この1kmは長い道のりだった。
数時間前、羨ましく見えた道の反対側に今自分がいる。
あぁ、ここまで頑張ってきてホントに良かった。
若い警備スタッフが
「本当にお疲れ様でした!」
とみんなに言ってくれた。
おば様方が「初めてねぎらってくれた」と有り難がっていた。
(もう、ホントに近いんだな)とようやく実感できた。
総持寺入口まであと300m。
車の渋滞と同じで、ゴールが近づくと進みが速くなってくる。

16時。
入口には
「YUJIRO ISHIHARA 13th MEMORIAL」
「石原裕次郎」
と大きく書かれた大理石地の立派なゲートが設置されていた。
(このゲートは普段はない。)
ここからは、20人くらいずつ区切られてゲートをくぐった。
と、ゲートをくぐった瞬間!
ゲートの影から知らないおばさんが数人走り寄ってきて
我々の集団の後ろについた!
「え?横入り??」
まさか、ここでそんな暴挙に出るとは!!
僕らは朝からずーっと並んで、今ここにいるのに!!
さすがに、これにはみんなもすぐ気付いて、
一斉集中攻撃!!!(口撃?)
それでもそのおばさん達は「前からここにいた!」と主張する。
そんな訳はないのだ!
8時間以上も一緒にいれば近所の顔は当然みんな覚えている。
みんなでやいのやいの言って、警備スタッフも何人か走ってきて、ようやく不届きなおばさんたちは引き離された。
あぁ、僕はこういう年のとり方だけはしたくない、とつくづく思った。
(それにしても、おば様方の口撃はすごい勢いだった。。。)

参道を警備スタッフの誘導で、少しずつ「三門」に近づいていく。
(「三門」はものすごく大きな門、というよりも建物!)
約300mの参道の両側には歴史を感じさせる巨木が続き、
うっそうとしていて、なんとなく涼しい。
設置されたスピーカーからは裕次郎の懐かしい曲を歌う合唱団の声が流れている。
「そういえば昨日の新聞に合唱団のことが書いてあったっけ」
と思いながら、よくは知らないけど聴いたことのある歌に包まれる。

そして三門の手前、左右両側になが〜〜いテントの列。
いよいよここで記帳だ!
一度に100人以上が記帳できるらしい。
そこに自分の住所と氏名を書いた。
妻は彼女の母親の名前を書いた。
妻の名前は僕のと一緒に併記した。
これで、ひとまず目的を果たしてホッとした。

さて、ここからが本日のクライマックス!!
1列に並んで記念品引換券を受け取り、いざ三門をくぐる。
まず向こう正面の駐車場のテレビ中継者が何台も視界に入ってきた。
そして、右に向かって坂を登るといよいよ見えてきました、石原裕次郎の若き日の白黒の大パネル写真!
もう三門をくぐってしまえば
今までのような順番を守ってという堅苦しい雰囲気はまったくなく、自由な天国のようなところ。
みんな思い思いの場所で写真を撮っている。
パネルの下をくぐり、祭壇のある本堂へゆっくり向かう。

本堂は奈良の東大寺のようにデカイ建物。
さすが曹洞宗大本山としての威厳か。
(ちなみに曹洞宗大本山は永平寺とここ総持寺。)
本堂正面の外壁いっぱいに設置された祭壇にはカラーの40代の頃の裕次郎の特大パネル写真。
高さ8m、幅7mだそうだ。
本堂の直前はまたちょっと並ぶけど(30分くらい)、今度は順番は関係なし。
もうみんな裕次郎を前に安心しきっている。
そして、警備スタッフの指示に従い
20人くらいずつ祭壇前に行って手を合わせる。

幅65メートルに及ぶ祭壇はおびただしい花で飾られ(胡蝶蘭1000鉢、アジサイ1500鉢とのこと)、特大パネル写真の両側は4500本の竹を使った高さ12mのヨットの帆がデザインされている。
ここに自分達が持ってきたものを備える。花束、お酒、ジュース、御仏前などなど。。
大きな裕次郎を前に僕はなぜか自分の将来のことをお願いした。(初詣みたいだ)
そして僕らは用意してきた御仏前をそっと置いてきた。

順路に従って進むと特設ステージがあって、合唱団が裕次郎の歌を途切れることなく歌っている。総勢200名の「東京混声合唱団」だ。
(待機中の200名と交替で歌っているらしい。)
ステージ前の芝生に、みんな気ままに座って聴いている。
裕次郎の人柄を偲ばせる、とてものんびりした空気が漂う。

僕らはそこでは座らず、大駐車場へ。
ここは記念品引き換えや、グッズ販売、ドリンクサービスをおこなっている。(これで列に並ぶのは最後だろう)、などと思いながら記念品引き換えの列に並ぶ。引換券には通しナンバーがふってあって僕のは35632番だった。
「5万人までまだ結構余裕があるじゃん!」
と思ったけど、「この時間でこの番号なのに6時半までに全部配れるのかな」とも心配になった。(ただ、このナンバーが人数を表すのかは定かではないが。)
列はすんなりと流れるように進み、そして、とうとう記念ワイン&日本酒のセットを手にした。
(流れ作業だから、受け取る瞬間はあっけない。)
17時だった。
長かった、10時間。。。。
ただひたすら、我慢に我慢した10時間。
でも、ようやく終わった。
気がつくと腰の痛みは治まっていた。

一日中革靴で立ちっぱなしだったから足が痛かったけど歩いて帰った。
家の近所の写真屋に今日撮ったフィルムをだして、それから寿司を買って帰宅したのが17:30。
いすに腰掛けたのは今朝の6時以来だった。
ふぅ〜。

記念品や買ってきたもの(限定CDをつい衝動買い)を眺めたり、寿司を食べながら、ニュースを見てみた。
人出は20万人だったそうな。。。
しかも行列は最大時12kmに及んだそうだ。。。
絶句!
多分集まった半分以上の人はさんざん歩かされた挙句、諦めざるを得なかっただろう。
遠くから楽しみにして、せっかく来たのに。

今回は、大イベント開催の難しさを痛感させられた。
石原プロによる事前の大掛かりな宣伝もさることながら、テレビ、新聞などマスコミの事前の取り上げ方も大きかった。
そして、記念品の先着5万名というのも、誰もがもらえる可能性をあおりたてる数字。
だから、主催者の予想を大きく上回る人出になってしまったし、警備も十分に行えなかったと思う。

実は、前述の例の1kmに並んでいるとき、ワインを手に帰宅する人に何時頃に並び始めたか聞いてみた。
すると「7時頃、このあたりに並んだ。」というのである。ということは7時の段階では、
駅前交差点からの行列は2つ存在し(この1kmの列と僕らが向かった最後尾の列)、
どこかの時点で1本につなげたのだろう。
だから、運良くこの1kmのどこかに並んだ人は、ほぼ同じ時間に並び始めたにもかかわらず、僕らより数時間も早く記帳を終えることが出来たのである。
ここからも、警備体制の不備がうかがえる。

おば様方によると7回忌の時はこんなに並ばなかったそうだ。
確かに13回忌が裕次郎に会える最後ではあるけれど、それにしても。。。

19時過ぎに写真を受け取りに行った。
中を確認をするとき
「お、行ってきたんですか?」
「ワインもらってきました?」
「今日は猿田さんで二人目ですよ。」
って言われてしまった。
写真には行列に並んでいた苦しかった時間のものは1枚も写っていないので、なごやかな雰囲気の総持寺の模様だけが残った。。。

長い一日だった。
が、石原裕次郎という往年のスターの人気を目の当たりにできた。
亡くなってもなお20万人を動かすとは、神懸り的な現象だと思う。
石原裕次郎は、それほど人々に愛され、
裏返せば、それほどファンを愛したのだろう。。。

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翌日の新聞・テレビによると、
警備員は神奈川県警、横浜市消防局を含め総勢2500名、
救急車の出動回数は43回(午後10時現在)だったそうだ。
そして、記帳は夜の23時半まで続いたとのこと。
最終的に何万人が記帳できたか知らないが、
多分、途中で諦めさせられた人達からの苦情が
石原プロに殺到することだろう。
後で何らかのフォローがあることを願ってやまない。


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ここまで読んでくれて有難う!


ちなみに
配られた記念ワイン&日本酒は、今年の秋に
限定発売もあるらしいので(1セット¥5,000だけど)
興味があれば買ってみては?